ローマを出てキューシで夜を明かし、そこからサルテアーノへと旅をしていた。
街中を散策し終えた後、バスでラディコーファニへ向かう予定だったが、あいにくその日のバスはすでに終わっていた。
厳密にいうと、バス側からドタキャンされたのである。
サルテアーノ

途方に暮れ、疲れ果てていた僕は、バス停のすぐ横の地面に腰を下ろした。
もうどうしようもないな、と俯いたその視界の端に、一つの可愛らしい石が転がっているのが見えた。
手にとって裏返してみると、そこにはイタリア語で「Sassi Girelloni(放浪する石たち)」と記されていた。
後から知ることになるのだが、これはソニアとアニータという母娘が「笑顔を届けるために」と、街のあちこちに絵を描いた石を置いていくプロジェクトだったらしい。
小さな放浪者

Sassi Girelloni by Sonia , Anita

理由は自分でもよく分からない。
けれど、その小さな石に刻まれたメッセージを見た瞬間、不思議な力が体の奥から湧いてきた気がした。
「この石をどこに連れて行こうか」
そんなワクワクする気持ちにさせられ、歩く決意をした。
立ち上がって、ヒッチハイクでもしてみよう、そう思えたのだ。
重い腰を上げ、ダメ元で親指を立てると、間もなくして一台の車が止まってくれた。
乗せてくれたのは、これから僕の目的地へと向かう途中だという若者たち3人だった。
さっきまで身体は重かったはずなのに、飛び跳ねて喜んでいた。
田園風景を眺めながら、車内では彼らとお互いの夢について語り合い、気づけば僕たちはラディコーファニへと辿り着いていた。
ラディコーファニ要塞

その日を境に、僕とその石の旅が始まった。
ラディコーファニを出て、数日間かけてトスカーナの丘陵や小さな村々を共に歩き、その後はバスを乗り継いで、北方のボルツァーノやラナという場所まで一緒に北上した。
全く違う風景や環境を共に抜け、その石は今、海を越えて僕とともに日本へ戻ってきている。
心地よい孤独

静止したカウベル

客観的に見れば「ただの道端の石」であり、「バスに乗れなかった不運なアクシデント」に過ぎない。
けれど僕たち人間の面白いところは、どんなものにも自分なりの意味を見出し、物語を宿すことができるという点にあるのだろう。
世界をどう捉え、どう物語化するかは自分次第であり、人生を能動的に楽しむためには、この意味づけする力がいかに大切かということ。
もっと言えば、それは知性が試される瞬間なのかもしれない。
糸杉の回廊

イタリアの母娘が「誰かを笑顔にしたい」という純粋な動機で置いた石が、見知らぬアジア人旅人の立ち止まった足を引き剥がし、見知らぬ若者たちの善意へと繋がっていった。
誰かの小さな創造や優しさは、顔も知らない誰かの人生の景色をガラリと変えてしまうほどの波紋を広げる。
世界は、誰かが仕掛けた小さな優しさと、それに気付く人間の想像力で満ちているのだろう。
次は、あの石をどこへ連れて行こうか。
いや、今度は僕が、誰かの足元に小さなきっかけを置いていく番なのかもしれない。
次なる物語へ


